@article{oai:kansaigaidai.repo.nii.ac.jp:00008095, author = {平田, 一郎 and Hirata, Ichiro}, journal = {研究論集, Journal of Inquiry and Research}, month = {Sep}, note = {論文, ARTICLE, 心が世界に遍在する、あるいはあらゆる事物が心を有するという汎心論は、特にこの科学の時代においては常識と衝突する考え方である。しかし興味深いことに近年分析哲学の心の哲学において汎心論が主要な論題となっている。それはG.ストローソンの議論が端緒となったものである。ただそこでの議論は、汎心論に基づく世界や自然像がどのようなものとなるのかということを論ずるよりも、物理主義を貫徹しようとしながらも、消去できない「心」をどのように扱うかというところで問題となっている。 これに対して汎心論に立ちながら新たなコスモロジーを打ち立てようとしたのがA.N.ホワイトヘッドである。本稿では、彼のコスモロジーでも特に岩や椅子といった心を持っていそうにない日常的事物における心に注目する。そこでは人間と同じように岩や椅子がクオリアを有するということがポイントとなっており、それがどのくらい説得的なものなのかを探求する。}, pages = {121--139}, title = {汎心論の可能性 : ホワイトヘッドのコスモロジーの現代的意義}, volume = {116}, year = {2022}, yomi = {ヒラタ, イチロウ} }